こころん

メンタル疾患を持っていても、心豊かな生活を目指して

想いは伝播する

今までの人生で、酷く辛い経験をしたことがない、という人は少ないと思います。近しい人が、過去の辛かった経験を話してくれた時、その時の気持ちを想像して「それは辛かったね。」と言っても、言葉が軽すぎるだろうなと思って、何も言えないこともあります。「誰も私(僕)の気持ちをわかってくれない。」という人もいますが、よほど似た経験をしない限り、相手の気持ちなんてわからないのかもしれないな、とため息混じりに思ったりします。

ところで、言葉にはしなくても伝わってくる感情もあります。あ、今、イラっとしたな、とか、喜んでいるな、とか。伝わってしまうから人間関係は難しいとも言えますが、だからこそ、なるべく良い精神状態にもっていきたいと、常々努力はしているつもりです。

自分の気持ちをわかって欲しいから、相手の気持ちを分かりたいから、と色々話してはみても、心の底にある思いは言葉にできない、ということもあります。肝心なことって、結構言えません、照れるし。

わかり合うために一番邪魔になるのは、実は話す言葉かも、と時々思います。言葉の向こうにある、相手の思いを汲み取って、その人の存在を受け入れるという行為は、頭ではなく心でするものだから。

目には見えない心を使い、相手を受容する時、それは相手にも伝わるものだと思うのです。

なんだか最近うまくいかないなぁ、という時、ちょっと立ち止まり、まずは自分から人を受容しようと思う今日この頃です。

物にも心がある?

私の知人で「物にも心があるよ。だから最後の最後まで使ってあげるんだ。」という人がいます。最初にそれを聞いた時、「え?そうなの?」と、キョトンとしたのを覚えています。その人との付き合いの中で、なんとなくそのことを考えるようになり、確信までは持てませんが、「あるのかも」と考えるようになりました。

 

物は確かに大事に使えば長持ちしますし、愛着も湧いてきます。洗濯機やオーディオなどの機械類がうまく動いてくれない時も、癇癪を起こして乱暴に扱うと止まってしまったりします。逆に根気よく付き合っていくと、意外に長持ちしてくれた、という経験を持つ人は多いと思います。その人の影響もあり、物を大事に長く使うことが増えてくると、ほとんど物を買わなくなりました。

食費や消耗品などの最低限必要なもの以外、お金を使わないと、満たされなさを感じるかな、と最初は思いましたが、逆でした。

 

動物や植物を愛情をかけて育てると、答えてくれる、というのと同じように、物を大事にすると心もなんだか満たされてきたのです。

 

今あるもので充分、と思うのと、足りないものばかりに意識を向けるのとでは、心の安定が違うのでしょうね。

 

使わなくなったお金は、時々お花を買ったり、マッサージに行ったり、より自分にとっての幸福度を上げてくれることに少し使おうかな、と思っています。

1人の力は大きい

初めましての初投稿です!来てくださってありがとうございます!
ゆるりと書いていきますので、ゆるりとしていってください。
今後ともどうぞよろしくお願いします♪( ´▽`)

一週間ぐらい前から体にしこりが出来て、家の近くの整形外科に行った時のことです。そこの病院は、アットホームな雰囲気のいい病院でした。スタッフの一人一人が誠実に仕事をしているのが伝わってきて、好印象を持ったのもあったけど、その中にいた、一人の看護師さんが特に印象に残りました。

その看護師の女性は、よく喋る明るい女性だったのですが、人に気を遣って話すというよりは、一生懸命さが表に出てしまっているような感じでした。ちょっとおっちょこちょいな、抜けているところがあるのも笑えるくらい、仕事を、いや人生を一生懸命やっているのが伝わってきました。

一生懸命生きている人というのは好感が持てるものです。多少のダメなところがあったとしても応援したくなるし、その人本人はただ目の前のことに取り組んでいるだけなのに、見ているこちら側が元気をもらって、なんだかお返しさえしたくなります。

この看護師の女性もそういう、見ているだけでこちらも元気が出てくるような人で、こういう人が一人いるのといないのとでは、周りのスタッフのモチベーションも違ってくるだろうな、と思いました。

一人の力は大きい、と昔、亡き父がよく言っていました。周りの人のモチベーションも上げてしまうだろう、こういう人はすごいなと思います。もちろん本人は、そんなこと狙ってはいないでしょう。ただ目の前のことに真摯に取り組む、それだけです。

 

さて、今日は何をしようかな。

最後まで読んでくださってありがとうございます、あなたもいい一日になりますように^ ^